HYPECRIER.TVINTERVIEW

【HYPECRIER.TV第8弾】DJ AKIHIRO SET & Interview

この記事を読むのに必要な時間は4分です。

本日のHYPECRIER TVは、DJ AKIHIROさんが登場!
DJ SET動画に加え、インタビューも公開。

AKIHIROさんは2015年に行われたRedbull Thre3Style Universityでは北海道チャンピオンに輝いた技巧派 DJ!

近年はフォトグラファーとしても活動、映像制作も精力的に行っており、Instagramも必見です!

どうぞご覧ください!!

 

DJ動画

Interview

 

◇DJを始めたきっかけを教えてください。

もともと人前に立つのがすごく好きで、高校生の時はバンドを組んでいたりしたんです。
親の影響もあってBOØWYにハマっちゃって、BOØWYのコピーバンドでギターを担当していました。

高校2年生の冬に「なまら☆SUNSHINE」っていう学生団体が主催していたイベントに参加して、イベントの規模感に衝撃を受けました。
alife sapporoに700人近くの高校生が集まって、ミスコン(北海道で一番かわいい高校生を決めるコンテスト)だったりファッションショーだったり様々なコンテンツがステージ上で行われていました。
そのイベントのコンテンツの中にDJtimeっていうのがあって、DJが1人でブースに立ち何百人ものお客さんを盛り上げてるのが、すごくカッコよくてイベントが終わった時には自分もDJをやりたくなっていました(笑)

でもいざ始めようにも、想像以上に機材が高くて最初は全く手が出ませんでしたね(笑)
最初は先輩DJのDJ KAZUMA君が機材を持っていたので、学校帰りにKAZUMA君の家へ遊びに行って練習していました。
ひたすらカットインの練習をしたり、MIXの練習をしたり。

泊りで練習しに行った日の朝の5時にKAZUMA君に「お前ら踊れ!」って言われて皆でめっちゃ眠い中、強制的に踊らされたこともありました(笑)
今ではいい思い出ですね(笑)

それからお金を貯めて機材を買って、最初は近所のリサイクルショップで売っていたVESTAXのPDX-2000mk2(ターンテーブル)を2台とオークションサイトでボロボロのTechnichs SH-DJ1200(ミキサー)、SL1(インターフェイス)等々。

それで音楽も好きだし機材も大好きだったのでどんどんDJにハマっていって、高校卒業と同時にバンドのメンバーも別々の道に進むことになったのでバンドの活動は休止、「自分はDJとして音楽を続けよう」ってそのタイミングで決断しました。

 

□邦楽のバンドから、洋楽を扱う路線のDJに路線変更したんですね。

高校生の時は「どんな音楽をやるのか」より「人前に立つ」ということに魅力を感じていたのかなって思います。目立つことが好きだったので(笑)
だからバンドでもギターをやっていたし、初めてDJを見た時もお客さんじゃなくて絶対にDJになりたいと思いました。

 

 

◇そこからRedbullUniversityThre3Styleの参加に至るまで、どのようなキャリアを歩んだのですか?

DJを始めた時からRedbullThre3Styleに興味がありMixCloudなどで世界中のDJのMixを聴き漁っていました。
そして2013年のRedbullThre3StyleでDJ Shintaroさんが世界チャンピオンになったんですよね。
「日本人でも世界一になれるんだ」って思って、RedbullThre3Styleにすごく憧れるようになりました。

それから3Styleのセットや選曲を真似してみたり、スクラッチの練習をしてみたりとかしましたね。

そして、ちょうど大学1年生の冬にRedbullUniversityThre3Styleが開催されることを聞いてすぐにエントリーしました。

実際にDJブースに立ってみると、めちゃくちゃ緊張しましたね。
緊張のしすぎて、DJが始まる前に針を一本折っちゃったんです(笑)
「勝てる」自信しかなかったけど、いざお客さんを目の前にすると手とか足が震えだしました(笑)
それで、バキっ!っていっちゃいましたね。
急遽、針を友達に借りて、どうにかやり過ごしました。予備の針は絶対に用意したほうがいいですね。(笑)

地方予選ではロックのネタを使ったり、好きな映画のサントラを使ったり、なるべく自分の個性だとか、オリジナルを表現できたらいいな、と思ってプレイしていました。
プレイしている最中はすごく楽しかったですね!
お客さんもすごくノってくれて、あっという間の15分でした。

何とか優勝し、JapanFinalへの出場権を獲得しました。

その大会ではortofonがスポンサーで優勝者への賞品がortofonの針だったんですよね!
学生であまりお金に余裕がなかったので、「買わなくて済んだ!やった!」ってめちゃくちゃ喜んでました(笑)

地方予選が終わり、JapanFinalへの間、DJというものに本気で向き合うようになりました。
どうすれば、地方から出場した人が東京でオーディエンスをロックできるのかな、って。
DJ KAZUYAさんに音源を聴いてもらったりもしたんですけど、「これじゃ勝てねえぞ~」って言われたりして。
じゃあ変えてみよう、って、フィードバックをもらいながらセットを考えました。
DicerとかMPD18、APC40、SP-1 とかいろんな新しい機材を使ってみてどれが一番自分に合う機材なのか試したり、DAWでトラックをエディットしてみたり。
もしかしたら、あの時が一番向上心があったのかもしれないです、負けず嫌いなので(笑)
だけど、本来DJってそうあるべきだと僕は思いますし、「誰よりも音楽が大好き」「誰よりも機材が好き」ってくらいの勢いじゃないとチャンピオンにはなれないのかなって。
そういったことも含めて、あの時期はすごく楽しかったです。DJに夢中でした。

RedbullUniversityThre3StyleのJapanFinalでは負けてしまいましたが、各地方のDJとの情報交換や、RedBullが企画してくれたワークショップなど、とても貴重な体験をさせていただきました。

 

 

◇ご自身の中でターニングポイントになった出来事を教えて下さい。

RedbullUniversityThre3Styleにエントリーしていた時は、トラックメイクに興味を持っていたんですよね。
海外のDJを見た時に、自分のオリジナルの楽曲でフロアをロックしている印象が強かったんです。

ちょうどその時期に、一緒にイベントに出ていたチバニャンがユーロビートのトラックを作ってて、プラグイン(DAWのシンセやエフェクトなどの拡張機能)の話で超盛り上がって意気投合(笑)
「じゃあ一曲作ってみましょうか」ってなって、2015年4月からGIGJAPがスタートしました。

お互いメルボルンバウンスが大好きだったので、曲を作るための材料を探していたんですよね。
そんな時、誰かわからないけど、RivieraSapporoでポッキーのCMに使われていたシェアハピの曲(Shere The Love)あるじゃないですか、あれをプレイしている人がいたんですよね。
その音がすごくメルボルンバウンスっぽくて、メルボルンバウンスでRemixしたら化けそうだなって思ったんです。
で、悪知恵じゃないけど、「3代目JSoulBrothersの曲だぞ?バズるしょ!」って(笑)
2日ぐらいでRemix完成させましたね。
バズらせたいって気持ちが強すぎて、とりあえずLDHのファンの人のTwitterをバーっとフォローしました(笑)
そしたらもうLDHのファンの人たちがめちゃくちゃRTしてくれて、一気に広まりました。
「あ、バズるってこういうことか!」みたいな(笑)
それからは、DJするときは、この曲を多用するようになりました。シェアハピ聴きに来るお客さんもいたくらいですから(笑)
全国のクラブでそのRemixがかかるようになると地方からのオファーもあったりして色々な都道府県に行かせていただきました。

それの繰り返しで、GIGJAPは成長したと思います。

GIGJAPに関しては、今現在チバニャンが東京に行っちゃったし、実質活動停止期間かな。
一時期「解散する?」って話にもなったりしたんですけど、GIGJAPを残しておきたいなっていう気持ちが強かったんです。
辞めちゃうっていうのは、ある種の諦めになっちゃうっていうか、自分はもっとカッコいいことがやりたかった。
けどやっぱりチバニャンはエンターテイナーとして世間に認められ始めたから、別々の道にはなってしまったけど、
いつかまた一緒にカッコいいこと出来たらな、と思ってSNSのアカウントやSoundCloudの音源は残してあります。

タイミング、そして市場を読み取る能力、オリジナリティを持ち続けることの大切さを学びました。

 

 

◇ご自身のオススメの楽曲やアーティストを教えて下さい。

中国成都出身のラッパーグループのHigherBrothers!
かなりイカしてます!

あと88rising!
音楽やファッションのカルチャーってアメリカだったりヨーロッパのイメージが強いけど、日本、韓国、中国など、アジアも独特のカルチャーを形成していてとても面白いです。
88risingはそんなアジアの新しいカルチャーを発信しているメディアです。

 

 

◇今後の展望をお聞かせ下さい。

今年の9月から中国の広東省深圳市(深セン市)へ1年間移り住みます。
自分の行く深圳という街は、20代~30代が人口の65%を占めている非常に若い街です。
中国って、お堅かったり思想が強かったり、主張が激しいだとか、そういったイメージがあると思うんですけど、
深センは急激に発展を遂げたこともあって若い人も多く、中国の伝統に捉われないっていうスタンスの人が多くて、すごく面白い街です。

深センにいる若い人たちがどういうことを考えながら生活しているのか、どんなライフスタイルや夢を抱いているのか。実際現地に移り住み感じてみたいと思います。
その中で、DJだったり写真、映像だとか、そういった文化と直結するようなツールを自分は持っているので、色々な体験や経験を日本に持ち帰りたいと思っています。

 

 

■ DJ AKIHIRO

1995/7/30 / 北海道北広島市出身/DJ&PRODUCER/
17歳の時にDJを始め、現在はDJをやりつつも楽曲制作やPVの制作にも力を入れている。2015年に行われたRedbull Thre3Style Universityでは北海道Championになり本戦への出場を果たす。2016年には楽曲制作へ力を注ぐべく、チバニャンと手を組みGIGJAPを結成し公開した音源の再生回数は述べ100万回を超える。現在は写真撮影や映像制作などにも力を入れ、音楽以外の活動も積極的にこなしている。
 ■Twitter https://twitter.com/AkihiroYangda
 ■Instagram https://www.instagram.com/akihirosuzuki_/