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毎週金曜には注目DJのここでしか聴けないSETをお送りします。
【HYPECRIER.TV第4弾】
DJ TAKUTO SET & Interview !!
DJ TAKUTO Interview
□DJを始めるきっかけは?
きっかけは、20歳の時にRedBull 3Styleで北海道でチャンピオンにもなってる
KAZUYAさんが働いているアパレルショップに行って、
プライベートでKAZUYAさんの家に遊びに行った時にCDJがあって、触ってみたらハマったのがきっかけかな。
それから、毎日KAZUYAさんの家に行って二週間くらい経った頃に機材を全部買ったね。
そしたら勝手にイベント決められて、そこからはや10年(笑)
□初めて出たイベントはどんなイベントでしたか?
初めて出たイベントは学生イベントのクローズで4時半から5時。
今はみんな、俺がHIPHOP中心って言うイメージあるかもしれないけど、
最初は全然ノリ方がわかんなくてHIPHOPが苦手っていうか嫌いで。
逆にR&Bとか、DJ KOMORIさんとかDJ HASEBEさんがすごい好きで、
今はKOMORIさんもEDMのイメージが強いけど昔コテコテのR&Bのプレイヤーで、
「R&B王子」っていう打ち出し方してたくらいの人でMIXとかはよく聞いてた。
だからR&Bしか掛けられなかったね。
あと、今で言えばKING XMHUだったりRivieraみたいなところが主流だと思うんだけど、
クローズであんまり下げて終わることって無いじゃない。ラスト一曲だけとか。
でもこの頃のクローズは、如何に残ってるお客さんを心地よくさせるかみたいな感じだった。
やっぱり帰っちゃうから、帰さないために盛り上げるじゃなくて、帰さないために心地よくさせるって考え方だったから。
でも初めてのときはそんなこと考えてる余裕なかったね(笑)
それこそパソコンじゃなくてCDJだったから、何秒から何かけるとか
頭出しのメモ書き片手にやってたね。
□そこからのキャリアを教えてください。
それこそalifeで月一回ぐらい学生イベントみたいの出てて、
三回目ぐらいのときにNeverLandの二回目だったんだよね。
それこそ、その時ようすけさんに初めてご挨拶させてもらって、
平日のラウンジ空いてるからDJやんない?って言われて始まったのがGirls talk。
DJがほぼ俺だけで、毎週8時間のロングセットだった。
途中KAZUYAさん、KYOHEYが入ったりしたけど、基本一人で長い時間DJすることが多かったね。
今みたいに技術もないし、ただMIXでつないでくってことしか出来なかった。
曲も知らないし、だから本当に曲買いまくってたね。バイト代のほぼ8割は曲に消えたかな?
その時はまだCDJ。
だから近所のツタヤ、GEOのR&BとかHIPHOPのCD全部チェックしたし、
週に一回お宝万代の三枚1000円のコーナー行ったりした。
今みたいにDJ CITYとかプールサイトもShazamとか便利なアプリもなかったから、
先輩に聞いたりとかしながら曲調べまくって、必然的に曲覚えていったね。
□自身のイベントを持つことで感じたことはありますか?
それこそ最初なんて一日二人とか。
ただ今思えばalifeとしてもGirls talkを盛り上げていきましょうみたいな風潮があって、
出勤してる面々も仕事できる人しか居ない。
今でこそ女の子飲み放題無料とかだけど、その当時飲み放題2000円とかで
Girls talkの日はそれを1000円にしたりして、スタッフ、DJ全員で良いものを作っていこうとしたかな。
徐々にリピーターも増えてってalifeのラウンジがパンパンになるまでになったっていう感じ。
雪まつりとかお盆とかの季節のイベントとかと重なったときは歩けないぐらい人がいたこともあったよ。
□ACID ROOMへはどのような流れで勤められたのですか?
ACID ROOMは昔、滅茶苦茶敷居が高かったから生半可なやつはやらせてもらえないみたいな。
HIPHOPとかR&Bは、スキルも知名度もないとできなかったから。
それこそACID ROOMでDJするのも一つの目標だったんだよね。
初めて遊びにいったのがみんなACID ROOMで、DJカッケェみたいにみんな思ってた。
そんな時に同い年のDJが平日にうったイベントに出ることになったんだ。
ACID ROOMの店長で凄くお世話になってるキムさんに、
なんでこんなノルマ厳しいのに出ようと思ったの?って言われたんだ。
ちなみに、今は珍しいかもしれないけどチケットとかも買い取りの時代だったから、
お金払ってでもDJやりたいと思いましたって言ったら、俺のイベントでやったらいいじゃんってなって、
ACIDでのDJがスタートした感じかな。
そこから色んな人と繋がって週末早い時間DJやらせてもらったりだとかね。
それでACID ROOMでDJやるようになって、HIPHOPにハマった。
でもプレイスタイルがKAZUYAさんと似たり寄ったりになっちゃって
実際周りからもそう言われて、じゃあどうしようと思った時に、HIPHOPを取り入れてみようと思って勉強した。
そのあたりからスクラッチとかカットインとか曲の意味で繋いだりとか、技術面でもプレイが変わってきたね。
□DJの現場で働いてみて変わった部分はありますか?
例えばイベントをやるってことに関しても当時はただイベント名決めました。
出演者決めました、入場料決めました、コンセプト決めました、はいやります、みたいな簡単な構図じゃなかったから。
じゃあどうやって人を集めるかってなったときに、100店舗ぐらいフライヤー撒きに行ったりだとか。
DJとして家で練習したりするのは当たり前だけど、すすきのって場所での人と人との繋がりが如何に大事かだとか、
それをセルフプロモーションすることの大切さとか凄く勉強になった。
□どのタイミングでDJを仕事にしたいと思いましたか?
DJ始めたときが大体大学4年生の時になるんだけど、就職活動してて俺らの時リーマンショックだったんだよね。
マジで就職先がパチ屋とかしか無くて、やりたいことも無かった時の夏休みにDJと出会って、
新卒って3年までいけるからそれまではバイトとかでもいいかなと思っててね。
でもDJ実際やってみて目標ってあるじゃん。
ACIDでプレイしてみたいとか東京でやってみたいとか色々あったけど、
周りのお陰で多分普通より早くその色々ある目標が叶っていった。
そうなっていった時に、初めてDJで飯を食いたいって思った。
初めてやりたいことを見つけたね。
□ACID ROOMからRivieraへ移り、何か変化はありましたか?
たまにゲストで呼んでもらえたりしてたから、別に抵抗はなかったかな。
ただこれ掛けたら盛り上がるとか、この曲はこういう所で使うとかの自分の感覚と多少ズレはあったから、
そういったところでのアジャストは必要だったけど
そんなにストレスはなく自分の得意なジャンルを軸にそういう曲を組み込んで構築していくことができたかな。
HIPHOPのDJとしてみて貰えるのは凄くありがたいけど、
別にHIPHOPを押し付ける気もなくて。
良いものは良い、って感じ。
□全く違う箱でのプレイで難ということで、難しかった事はありますか?
Riviera入って二日目くらいの出勤の時に、BIGBANGの『FANTASTIC BABY』かけて下さいって言われたの。
今まで使ってこなかったからマジで持って無くて、嫌味でもなんでもなく持ってないです。すいませんって言ったら
指さされて「DJ失格ですね。」って言われて。
めちゃめちゃ悔しくて、それは凄く印象的だったかな。
例えば『FANTASTIC BABY』をただかけることは出来るけど、
DJ IKUさんが前Rivieraでプレイした『PPAP』を二枚使いでガシガシやってて凄い湧いてて、
あれがそういう感じの最上級だと思うんだけどね。
□以前とは違う曲の方向性について思うところはありましたか?
別にEDMが悪いとも思わないし、TOP40が悪いとも思わないし、
それこそOne DirectionがTOP40の1位になってることもあるし、
Pharrell Williamsの『HAPPY』だったりが1位になることもあるし。
シーンはいつも変わるわけで、じゃあ『Booyah』とか誰が流行るって思ったか。
ACIDでかかってたのがあんまり認知されてないクラブミュージックだとしたらかける対象が変わっただけって感じかな。
パリピって表現もあんまり好きじゃないんだけど、今のクラブって色んなニーズがあるから。
例えば女の子探しに来ました、音楽聴きにきた、お酒飲みに来た、VIP入りに来たとか。
ただクラブに来る人の分母が広がることは良い事だと思う。
自分が得意なジャンルが流行ってくれれば良いけど、流行りを発信するのも俺らだし、
日本に限らず今のシーンを作ったのは俺らDJだったりハコだったり企画だったりだから。
それに対して関わってきたからにはあぁこの曲クソ、とかこのシーンクソ、とか思わない。
変えたいんだったら変える動きをしていけばいいと思うし。
だから俺は上手く分けてるというか、クラブによって曲の住み分けをした中でもある程度色んな曲をかけていって、
それも格好いいねって思ってもらえたら嬉しいかな。
今のEDMでも最初は馴染み無かったと思うけど、
それを定番曲って言えるくらいになってるってことは、みんなそれをかけ続けたってことだし。
料理と同じだと思うんだよね。
稀に自分にしか調達出来ないすごい食材(曲)を持ってる人もいるけど、
皆使ってる食材(曲)は似たり寄ったりで、食材(曲)を活かすも殺すも料理人(DJ)次第だと思うんだよね。
切り方、焼き方、それはDJでいうMIXの上手い下手だと思ってて。
切ったり焼いたりは誰にでも出来るけど、味付けって色々あるじゃん。
俺のなかでそれがスクラッチだったり技術かな。
だからこそ少しでも美味しく聴いてもらいたいなと思って俺はいつもDJしてるかな。
□おすすめのジャンルや曲はありますか?
今聞いて欲しいアルバムで言ったら、TYGA。
そのTYGAが「KYOTO」っていうアルバムを出してて。
凄い格好良いんだけどその中でも『U Cry』って曲があって、
その曲がHIPHOPなんだけどR&Bみたいなメロウな感じの曲で凄く好き。
PVとかで言ったらDrakeの『God’s Plan』。
一億使ったぜっていうカッコいいPV。
おすすめのアーティストで言えばAfrobeatとか今流行りだしてるから
ナイジェリアのジャスティン・ビーバーって呼ばれてるWizkidっているんだけどその人はマメにチェックしてるかな。
EDM・Electro系で言ったらKronicとかYellow Clawかな。
Yellow Clawはプレイでも結構使ってるし。
U Cry / Tyga
God’s Plan / Drake
Nauthy ryde/ Wizkid ft.chris Brown
Love & War / Yellow Claw ft. Yade Lauren
□今後の目標はありますか?
第一はやっぱり常に現場に居たいなって。
60歳になっても格好良いって思われるDJでいたい。
40歳になったから現場退くみたいな、後輩に譲るっていうのも勿論考えるけど、
クラブが好きだからっていうのもそうだし、30歳になって人間的にも節目だからそういう部分では楽曲制作もしてるし、
年内にリリースできたらいいなって思ってる。
あとは例えば東京でレギュラーやったりだとか、今までやれなかったことを
今年はどんどんやっていけたらいいな。

【DJ TAKUTO】
2009 年よりDJ 活動を開始し、R&B・HIP HOPの現場を中心に多種多様な現場をこなしつ、北海道を代表するイベントに多数出演。地元札幌での知名度と人気は抜群に高く、活動の場は札幌だけに留まらず、北海道各地・道外でも精力的にプレイこなす。
そんな様々な営業活動で培われた経験は、どんな現場でも生かされており、札幌で数少ないオーディエンスのニーズにあわせたプレイが出来るDJ である。
併せて、どの時間帯、どのイベントでも彼のDJスタイルは不変であり、HIP HOP・R&Bを軸にした多彩な選曲、個性的なグルーヴでフロアを揺らすプレイスタイルは必見。
そのセンスと実力は道内外のアーティストからも高い評価を受けている。地方の若手DJを交流させ、クラブシーンを発展させる企画【DJ’s SUMMIT】では北海道代表として2年連続で参加。2013 年8月には待望の自信1st MIX CD “NO DOUBT-R&B EDITION-”をリリース。翌2014年には地方のDJとのコラボレーション企画“ROCK THE CITY Vol.1”をリリース。両タイトル共に発売後即SOLD OUT。
年代・性別を問わず多くの称賛の声を受け、続編のリリースを心待ちにされている。札幌の人気イベントには欠かせないDJ の一人であり、今後の活躍が最も楽しみなDJ に間違いない。
●Instagram https://www.instagram.com/dj_takuto_1987/
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